僕(ZiN)の絵画作品で代表作として描かれている無限の作品があるが…
この作品の意図を説明してもほとんどの人が理解できない。
理解できるのは全世界の中のあるごくごく一部だろう。
この宇宙の中のありとあらゆる物は蘇る。
例えば目の前のコップがあったしてそのコップを床に落とし粉々に割れてしまったとしよう。
人間の感覚から言うとそのコップはその時点で役目を終えてゴミとなり永久的に使い物にならないものと認識されるだろう。
が、しかし…
このコップは再び蘇る。
それはリサイクルだとかいう次元のものではなく、再び蘇る可能性がある。コップ以外の全ての物でも人間や植物や雰囲気や思い…全てのものが蘇る可能性が無限にあるのだ。
なぜなのか?
それは次で説明するので常識というリミッターを外して読んで欲しい。
無があるからこそ万物の物は繰り返される。
では例えば地球や太陽がなくなって宇宙そのものがなくなったとしよう。
その時間も空間も何もない状態を"無"と言うのだが、無があるからこそ蘇る可能性が無限にあるのだ。
歴史は繰り返されると言われているが、宇宙規模でも同じ事が言える。
無があると言う事は再びビックバンが起こる。
人間の時間単位で考えると数万年、数百万年、数億万年、数千億万年、数兆万年…無限に無が存在する限り一度起きたビックバンは確実に繰り返される。
逆に何も起こらないなんて事はそこに無と言う状態がある以上考えられない。
意味がわかるだろうか?
これはいついつまでと言う人間の作り出した次元の思考論ではなく、無という状態があり続ける限り時間という概念が及ばない位置で突然起こるのだ。
そして当然太陽や地球も再び誕生する。
なぜならもしもその2回目のビックバンで出来た宇宙の中に誕生しなくても次に宇宙が消失して無の状態に戻った時点で再び太陽や地球が誕生する可能性があるからである。
もしもここでも誕生しなくてもさらに先の宇宙が消滅した後の無からのビックバンで誕生する可能性がある。
無があるからこそ始まりがあるのだ。
これは永久的に終る事のない万物の無限のサイクルなのである。
これを表現したくて僕は無限の作品を描いているのだ。
っとここまで語ったが何となくでも理解できた人は僕と波長が合うようだ。
この話が理解できずに
「永遠に宇宙が誕生しないかもしれないじゃないか!」
っと思う人はまだまだ全然理解できていないだろう。
起こらないかもしれないなんて事はない。
なぜならそこに無という解釈があるのだから。