こんちは〜!ガカプロを運営している画家プロデューサーのジンジンです!

ここでは画家プロデューサの仕事をしているジンジン画家を本職として活動しているZiNのややこしい関係性をわかりやすく簡単に説明していきますね!

ZiNとジンジン?二人の関係性は?

まずこのガカプロは主にジンジンが運営しています。

そしてここから下の記事を見てもらえればわかると思いますが、ジンジンとZiNはもともと同じ人間なんですよね〜!ただ思考ややりたい事や得意な事が全然違ったので自分の中で分けて考えるようになったわけですよ。

ジンジンは何してる人?

僕(ジンジン)の主な活動
  • 日本人の画家プロデュース
  • ZiNのプロデュース業
  • 事業経営
  • 海外から絵の仕事の提供
  • 絵で食べて行きたい人の悩み相談情報発信

などなど…

 

基本的に画家やアーティストを育てる仕事をしていて、メルマガ登録数も現在3000人を突破してこれまで1万通を超える相談にものってきました。

 

すでに画家として絵を描く生活ができるようになった人も誕生させてきましたし、ZiNの絵画関連の売り上げも毎月100万は確実に超えるまでになりましたよ〜!

ZiNは何をしてるの?


ZiNはオーストラリアでの路上ライブペイント(バスキング)の第一人者であり、現在もZiNの後を追ってオーストラリアにライブペイントをして稼ぐ旅にでる人達のサポートをしています。

あと沖縄の座間味で毎年キャンプペイントをしています!めちゃくちゃ楽しいので遊びに来てくださいね〜!!

その後も世界43ヶ国以上を画家の仕事をしながら旅をしていました。

 

現在のZiN主な活動内容
  • 絵を描く
  • オンラインでの絵画教室の講師
  • 年末年始はハワイでライブペイント
  • 海外での個展活動(予定)
  • たまに画家の旅にでる
  • 現在は結婚しているのでほぼ沖縄で活動

といった感じで主に絵を描く仕事をしていますね。プロデュースは僕(ジンジン)がしていて絵画作品やアート商品制作は全てZiNがしているという事です。

詳しい活動情報はこちら↓

 

性格の違いはこんな感じですね〜!

ジンジンの性格 ZiNの性格
最近学びに喜びを感じる

努力なんてクソしたくない

流されやすい

皆でワイワイしたい

好きな事以外したくない

ダラダラ家で過ごしたい

テンションが高い

絵が人生の全て

真面目に努力を積み重ねる

皆と同じが嫌い

1人が好き

絵の仕事以外したくない

自然が好きですぐ海や森に行きたがる

テンションは低い

それではここから僕達の生い立ちのお話。

生まれは宮崎、育ちは大阪

1985年10月27日に宮崎県日向市産まれ。それはそれは可愛いすぎて目ん玉に埋め込まれても全然痛くないほど可愛い男の子でした。

「この子の可愛さは世界に手届いてるわ」と言われるほど可愛がられていたわけですよ。そして1歳になる頃に父親の仕事の関係で大阪に移住してからはずっと大阪で育ってきましたが、どんどん成長するにつれて顔の形も変形してきたんですよね〜!

オトン
何かシャクレてきてない?

オカン
いや〜シャクレてきてるやんかいさ〜!

っと言う事でどんどんシャクレてきました。

 

シャクレてもいいじゃない。

 

人間だもの。

自分の中のもう一人の自分

小学校低学年の頃に急に目が悪くなり、クソださいメガネをかけなければ何も見えない状態になってし待ったんですよね〜!!

一部女子軍団からは「メガネザル」と名付けられチヤホヤされていました。そんなメガネザルも運動会という人間様の子供が絶対に通らなければいけない行事に参加させて頂いた時の出来事なのですが…

なぜか「他の人と同じ事はしたくない」という思いにかられてしまいまして…。

 

一人だけ踊る事はせずに

カメラをガン見して立ち尽くす

という人間様に逆らう悪行をしてしまったんですよ。今思えばこの時から僕の中に潜んでいたZiNが人と同じ事をするのを拒否していたのかもしれないんですよね〜!

 

「皆一生懸命ダンスを踊っているから踊らないといけない!」

っと言う思いもあったのですが何故かやってしまったわけです。

画家を目指す原点になる出来事

比較的友達も多く、毎日外で元気に遊びまくる小学生でした!

家の前の公園の滑り台を登ったり下りたり、近くの大学内にある池にザリガニ釣りに行っり、池の横のベンチで寝ていた大学生を余った大量のたこ糸でぐるぐる巻きにして「モスラモスラ!」と言ってはしゃいだり(起きて爆ギレして追いかけてきたのでモスラ制作は中断してダッシュで逃げました)とにかく毎日何か刺激を求めて自由奔放に遊び倒していたわけですよ。

毎日体力の限界まで遊んでいたので家に帰ると疲れきって晩御飯を食べた後はすぐに寝てしまっていたのですが、そんな時に高確率で見る夢があったんですよ。

 

そして、まさかその夢が僕の人生を大きく動かすきっかけになるとは当時の僕では想像もできなかったでんですけどね。

 

その夢というのはですね、

今まで見た事もない世界を上から見ていて、その世界を自由自在に飛び回る事ができたんですよ。

 

音もないし人もいない世界が地平線のどこまでも広がっていて、もちろん地面に着地する事もできるし、人が作ったような建物も建っているんですよね。

物心ついた時から頻繁に見ていて、ある日この夢の事を一度友達に話したわけですよ。

ジンジン
何か寝たら変な世界飛び回ってるね〜ん!

友達A
ふーんそうなんや〜!駄菓子屋行こや!

っと話が完全に流さる始末…。

僕自身も多少は気にはなってたけど結局どれだけ考えてもただの夢なので別にもう人に話すほどの事でもないかなと思い、そのまま誰にも話さず時が過ぎ去っていきましたね。

全部中途半端な学生時代・・・

中学ではバスケ部に入ってはいたんですけど、ほとんどサボりまくってましたね。

本当はスラムダンクみたいな熱い戦いをしたいとは思っていたんですけど…。

 

チームも玉入れボール部って感じでやる気もないし、自分自身も中途半端にやっていたのでどんどんやる気がなくなってしまい、たまに玉入れしにいく感じでダラダラ続けてしまいました。

高校もバレーボール部だったんですけど、理由も単純で兄貴が同じ高校のバレーボール部に入っていてその流れで弟の僕も誘われて何となく入ってしまうという王道パターンです。苦笑

 

もちろんやる気もないしバレーボールが好きでもなかったのでサボりながらもダラダラ続けていました。

高校のテストも英語が苦手だったので英語のテストがある時は近所の大学の広場で鳩に餌を与えながら終わる時間までのんびりダラダラ過ごしていました。とにかくこの中学から高校まで全ての事を中途半端に終わらしてきました。ただ毎日が過ぎ去って行くのを待つばかりといった生活を送っていましたね。

 

この当時は自分の意思が弱くて流されてしまう性格だったんでしょうね〜。

 

それでも友達と遊ぶ時だけは全力で遊んでたけどね。

画家を目指す決意を固めた!!

高校2年生の頃からそろそろ将来の事を考えないといけない時期がきたのですが、何をするか全く決めてなくて「考えるの面倒臭いしどこか適当に就職できたらいっか〜」と漠然と思っていました。

が…

心のどこかで

「自分は他の人とは違う。もっと凄い人間になれるはずだ!」

っという思いも持っていたのでこれは恐らくZiNがそう思っていたのでしょうね。

 

そんな宙ぶらりんの状態の時期になぜかわかりませんが、小学生の時に頻繁に見ていた夢の世界を再び頻繁に見るようになっていたんですよね。

 

小学生の時は「まぁしょせん夢だからね」と思っていたわけなんですが、高校生になってよく考えてみると他の人はこんな夢は見ないという事に気づきました。

ジンジン
もしかして…これは神様からこの世界を伝えなさいというお告げなんじゃない?

まぁ神様がいるかいないかは興味はないけど、実際「この世界を皆に伝える事が僕の使命だ!」っと思えてならなかったわけですよ。

これが僕が画家を目指す決断をした最初のきっかけです。

ここから地獄の日々が始まるのですが、この時はただ頑張れば何とかなるだろうという甘い考えでいました。

夢と現実の間で過ごした地獄の4年間

画家を目指すと決断してからなぜか未来に希望が見えてきた気がしたんですよね〜!

今まで全てにおいて中途半端に生きてきた僕がなぜか画家には絶対になれるという心から燃え上がる情熱が吹き上がっているのを感じたわけですよ。

それからの行動は早かったです。家に帰ってそっこうで母に言ってやりましたよ!

ジンジン
俺決めた!芸大か美大行くわ!

オカン
あ〜んた何言うてんの〜!就職し〜!

 

っと速攻で断られました。まぁでもそんな言葉では僕の情熱は珍しく沈める事ができず、とりあえず就職して芸大か美大にいく資金を貯める事にしたんですよね〜!

 

高校卒業後は工場に就職して初任給で18万ありました。

 

生まれて初めて18万という大金を自分で稼いでウキウキしてましたね〜!

ただ、人生そう思い通りには行きませんよ…

鬱病でで精神崩壊

親と喧嘩してちょうど一人暮らしも始めて出勤用の車をローンで購入して夢や希望を持って働いて学費を貯めよう思っていた矢先に事件は起きてしまったんですよね〜。

リーマンショック!!!

もう最悪ですよ。

月の給料もグーンと減ってたった12万と少し…学費も貯める事ができず、やりたくもない仕事をして考え方も閉鎖的になってたんでしょうね。何か変だな〜動きたくないな〜怖いな〜怖いな〜っと思ってたので精神科に行きました。

医者
あんた鬱ですわ

ジンジン
でしょうね!!

っと医者から診断されたのをきっかけに余計に心が奈落の底に落ち込んでいく感じでしたね。

結局2年働いた内の1年くらいしか会社に行けなくて自分は社会のゴミ何じゃないかと思ってしまうほど落ち込んで毎日壁のシワを数えて夕方になってましたり、お腹すいても冷蔵庫まで動けないほど無気力状態になってしまったわけなんですよね〜!

でもそれだけでは僕の不幸は終わりませんでした。

友人の死で頭ボーン!!

そんなタイミングで中学からの友達が突然自ら命を経ちました。

 

世の中の不幸が一気に僕の所にやってきたように思えましたね。

 

頭がパニックになってキャパオーバーしました。頭ボーン!!

仕事も夢も何もかも捨てて数万円握りしめながら一人になりたいと思い、そのまま沖縄に逃亡しました。この時は本当に辛かったです。人生で二番目に辛い時期だったかもしれませんね〜!

沖縄に逃亡して一人旅の魅力に気づく

この時初めて沖縄に上陸したんですけど、何で今まで沖縄に来なかったのかと後悔するほど楽しく過ごせましたね。

人も優しいし、海でビール飲みながらボーッとできるし、お金がなくなった時も海潜って銛で魚ついて焼いて食べたり、夜は島に住んでる人の家で宴会したり、沖縄に完全に心奪われましたね。

結局この旅で日本最西端の島与那国島まで行って海底遺跡まで見て来ました〜!!

もうあの衝撃的光景は一生忘れないでしょうね!

沖縄に逃亡した最初の理由としては「一人になりたい」が先行していたんですけどいつのまに沖縄の人に囲まれていました。沖縄の人って本当に優しくて話を聞いて受け止めてくれるその姿勢に心が癒されていきましたね。

ジンジン
鬱ヤバかったっすわ〜

沖縄おじぃ
なんくるないさ〜

沖縄で感じた事は山ほどあるので違う記事で書きますね〜!

とにかく正気を取り戻した僕は本気でバイトして2年かけて学費の半分を貯めてついに専門学校に入学する事ができました!

が…

ここからさらに地獄の超貧乏生活が始まります。

専門学校入学!努力の天才ZiN誕生!!!

芸大か美大じゃなかったの!?っと思った人もいると思いますが、お金がね…

芸大や美大は約600万円ほど必要だと言われているんですけど、僕は親にも頼らない事にしていたので自力でお金を貯めるのにも限界がありまして、車も売って学費の費用の足しにしましたけどこの時の僕の知識では2年で120万貯めるのがやっとでした。

そこで思ったわけですよ。

画力あげる事が目的やし専門学校でよくない!?

っと言う事で学費300万とちょっとで絵を学べる専門学校のイラストレーション学科に入学する事に決めました。

入学当初の作品…今思えば無謀ですよね〜!こんなもん誰も必要としないですからね!汗

でも当時の自分は自信満々で絶対に自分は成長すると信じてましたね〜!

入学してからの2年間はバイトを3つ掛け持ちしながら残りの学費を払ったり、一人暮らしもしていたので超極貧生活を送ったりと(朝と昼は飯抜き)睡眠時間は毎日2時間程度。

この当時はかなりガリガリでした。汗

それでも学ぶ事への意欲はどんどん増幅して行きました。下の絵の成長過程を見ると日を増すごとに明らかに画力が上がっていくのは誰が見てもわかるでしょ?

 

そしてある時気づいたのですが絵を描く時だけは無心になって勝手に筆が進むんですよね〜!「絵を描いている時は何か違う人みたいですね」と今でも言われるのですが…

そうです!

これがZINというアーティストなんですよね〜!

そもそもこれまで適当に生きてきて好きな事以外せず、努力嫌いで全て中途半端に終わらして来た僕が一つの事に熱中するなんてあり得ないわけです。絵を描いている時や将来の目標を追いかけて努力している時はZiNが憑依していたんだと後で気づきました。

オーストラリアに出発のはずが…弟がバイクで違う世界へ旅立ってしまった25歳の時。

画家として生活できるようになるにはさらに修行を積まないといけない!オーストラリアだ!ワーホリだ!

っという事で僕とZiNは海外画家修行の旅に出かける事にしまいた。

旅の準備してる時からもうワクワクが止まらないんですよね!絶対に成長できる確信があったし憧れの海外生活でもあるし、何より人生がいい方向へ転がっていく予感をもろに感じていたんでね〜!

でもね…

そんなに人生順調に進まないですよ…

もうね〜ジェットコースター人生ですわ。何回下がったり上がったり下がったり上がったしないとダメなんでしょうか。これまで挫折と再生の繰り返しで地獄を味わって来た僕の人生もようやく軌道に乗り始めた僕とZiNの夢や希望を打ち砕く出来事が起こりました。

オーストラリア出発の1週間前になって毎日が希望に満ち溢れていたある日の夜。父から突然の一通の電話…

 

「もしもし〜…勇馬(弟)が危篤や〜」

 

突然すぎて危篤の意味が理解できなくてしばらく呆然と立ち尽くしていましたね〜。

病院まで自転車で向かっていたのですが中々実感が湧かずどこをどう走って来たのかも覚えていません。病院について緊急治療室に通され弟の変わり果てた姿を目にからはショックで涙が止まりませんでした。

それから2日後、弟は息を引き取りました。

享年20歳でした。

 

もう両親も絶望の淵に立たされていて落ち込んでいたのですが、それから2ヶ月後に両親からの後押しもあってオーストラリアの旅に出かける事になりました!

オーストラリアで路上ライブペイントをしてお金を稼ぐバスキングの第一人者になりました。

海外での生活も初めてで画家になる為に何をすれば良いのかも全くわかっていなかったのでとりあえず公園で絵を描いていく事から始めました。

この時は英語も話せなくて本当に何もできなかったんですけど、オーストラリアの人は陽気でね〜そんなの関係なくバンバン話しかけて来てくれるんですよね〜!

英語の勉強も始めて本当に少しだけ英語を理解できるようになって友達もできたし、刺激的な毎日だったんですけど…

ちょっと最初に遊びすぎて所持金がほぼなくなってきてしまったんです。汗

ジンジン
ヤバい…何とかしてお金稼がないと生活できない!! ヤバイヤバイ!!!

っという事でどうにかしてお金を稼ぐ方法を探し始めました。

オーストラリアではバスキングと言われる路上パフォーマンスでお金を稼いでいる人がかなり多いのですが、ケアンズもゴールドコーストもシドニーもメルボルンでもどこに行っても楽器を演奏してバスキングしている人しかいなかったんですよね〜!

僕達には音楽の才能もないし、やっぱり武器は絵を描く事しかなかったので思いつきで路上ライブペイントのバスキングをする事にしたんですけど何をどうしていいのかわからなかったんでもう本当に手探り状態ですよね。

当時はライブペイントのバスキングをしている人なんて一人もいなかったし、ネットで調べても一切その情報を手に入れる事ができなかったわけですからね。

 

という事でZINは

オーストラリアでライブペイント(バスキング)をしてお金を稼いだ第一人者

となったわけですね〜!!

 

そしてこの情報をブログで配信し続けたところ、多くの画家やイラストレーターや漫画家を目指す人達から反響があり、オーストラリアに絵を描いて稼ぐバスキングの旅に出る人が急激に増えていきました。

僕は彼らにどうせオーストラリアに稼ぎに行くならその経験をブログで発信していく方が良いと言ってきたので他の人もブログで発信し始めまして、今ではオーストラリアでのライブペイントで稼ぐ方法は主流となりつつありますね。

 

もうZINはオーストラリアにライブペイントをしに行くことはないですけどね。

なぜなら人と同じ活動をする事を極端に嫌うからです。

 

ZiNのポリシーとして

「今まで誰もした事のない活動をする」

というものが画家活動の根本的な所に軸として存在するからなんですよね〜!

キャンパスと絵具を持って世界一周の旅へ出発!

オーストラリアの旅も無事終わり、画家として活動できる自信もついたので次は世界一周の旅に出ました。


気がつけば43ヶ国以上の国を訪れ、海外に出て5年以上の月日が経っていて画家を目指し始めた高校生の頃に比べると明らかにできる事の幅が広がっていましたね〜!

・画力を上げる事に成功した

・英語を話せるようになった

・外国人とのコミュニケーション能力がついた

・プロデューススキルを学んだ

・絵の仕事を得る方法を発見した

・海外で絵を描いて稼げるようになった

・海外からの仕事を今日本で困っている人に紹介出来るようになった

・日本で最適な画家活動の方法を発見した

などなど、この他にもできなかった事が出来るようになりました。

 

これまでの経験から僕の心には学びの楽しさ、大切さというものが芽生えました。

人って変わるもんですね〜!!あのクソみたいな中途半端な人生を歩んで来たこの僕が学ぶ事が好きになるなんて想像もしてなかったですからね〜!!

日本に帰ってきて子供ができたので沖縄に移住した。

現在の僕ですが結婚もして子供もできて沖縄に移住して毎日ビーチで絵を描く生活に明け暮れています。

これから沖縄南国ZiNARTギャラリーを建設してZiNと一人二脚で頑張って行こうと思っています。

沖縄に旅行にくる時は是非遊びに誘ってあげてくださいね〜!

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