僕はフリーランスの画家として(日本で5年、海外で5年、合計10年間)画家ZINのプロデュース業をしています。
今回はそのフラーランスの画家になるまでに苦労した話をしますね。
フリーランスの画家になる上での苦労って言われると相当色々あったんですけど大きく分けると3つですね。
学費を貯めるはずが鬱生活。
僕は高校2年生の頃に画家になるって決めて親に言うと速攻で反対されたんですよね。まぁそらそうですよね〜!
絵で生活するなんてほとんどの人が絶対に無理と思いますよね。実際それで悩んでいる人沢山いますからね〜!
でもどうしても絵描いて暮らしたかったんですよ。
それでとりあえず就職して自分でお金貯めようと思ったんですよね。ちょうどその時(当時18歳)に家出して1人暮らし始めて通勤用の車も買ったんですけど給料が普通に16~17万とかあったので節約すれば学費も貯まると思っていたんですよね。
今だと給料16~17万では到底生活出来ないんですけど、その当時はまだ若かった事もあり「めっちゃくちゃ金あるやーん!」っと思ってたんですよ。まぁ実際そのくらいあれば貯金は出来ますからね。
ただ、そこから不景気で会社の給料が激減して12万〜13万とかになったんですよ。
なのでお金もあまり貯まらなくなってしまったんですよね。
ここからが地獄でした…
想像していた未来の自分の姿と今の自分の姿に物凄くギャップを感じながら働いてました。そして上司との反りが合わなくて毎日嫌み言われてたんですよね。
今思えばあれパワハラですよ!!むちゃくちゃでしたからね!
そんな日々を過ごすに連れてどんど心も病んでしまって会社も休みがちになってしまったんですよね。
自分でもなんか「おかしいな〜」っと思って医者に行くと
っと言われたんですよね。実際こんな言われ方はしてないですけど完全に鬱ですっとは言われましたね。
お医者さんに言われたのがかなり心に響いてしまって「うわ〜これが鬱なんか〜」ってなってしまったんですよね。
これはなった人しかわからないと思うんですけど…
鬱になると動けなくなるんですよ。動こうとはするんですけど全くその気力がなくなるんですよね〜!
それから会社に電話して休む事にしたんですけど、その電話が終わってからそのまま部屋の壁にもたれ掛かって一日中その状態で時間が経っていったんですよね。気がつくとカーテンの隙間から夕日が差し込んでそれが顔を照らす。
そうすると何だか涙が出てくるんですよ。
なぜ泣いてるのかもわからない。でも何だか苦しい…
今の僕からすると「会社辞めればええやん!バイトでええやん!!」ってなるんですけど、その時はもうそんな考えも浮かばなかったんですよ。
そんな状況で何をしても楽しくなくて本当に死のうかなっと思ってましたね。
で!!
この最悪な鬱状況をどうやって乗り越えたかと言うと…
これには悲しいきっかけがあるんですよね。
突然に僕の1人暮らしをしていたマンションに友達が遊びにきたんですよね。そいつは大抵の場合、複数人で遊ぶ友達で一対一ではほとんど遊ばない関係だったんですよ。そんな彼が急に家にきたので僕もびっくりしたんですけど、そのまま家にあげて一緒に一晩中ゲームしたんですよ。
その彼もめちゃくちゃ笑ってたし、僕も久しぶりに楽しい気持ちになれました。
朝方にそろそろ帰ると言うので
「また遊びおいでや〜」
っと言うと彼も
「また来るわ〜」
っと言ったんですよ…
それから1週間後…
彼が自分で命をたったと聞かされました。
もうパニック状態ですよね。
それからお葬式に行って亡骸を見ました。その時に「死んだらこんなに周りが悲しむんだ。何もなくなるんだ。」っと強烈に心で感じたんですよね。でもこの先何をどうすれば良いのかわからなくて頭パーンとなったわけですよね。
そこから将来の事なんて一切考えずに2年かけてやっと貯めた20万円を握りしめて沖縄に逃亡したんですよ。
今になって思う事は逃げるって最善の策だと思いましたね。
病んだら逃げたらいいんですよ。
僕もそれから3ヶ月くらい沖縄で生活していたんですけど多くの人と出会って色んな話をして沖縄の人の優しさに触れて気がつけば気持ちも復活していたんですよね〜!
そしてようやく「バイトで稼いだらいいやん」っと固定概念を崩せたわけです。
ただここからも地獄でしたね〜!
50円しか使えない超貧乏生活
沖縄から帰ってきて本気でバイトして2年で150万円貯めたんですよ。
そして無事にアート系の専門学校に入学できたんですけど、でもまだ学費が足りなかったのでバイトを3つ掛け持ちしながら学校に通ってました。
この生活がかなりきつかったですね〜!
大阪にはスーパー玉手っていう24時間営業の激安スーパーがあるんですよね。
そこでもやしだけを買って、そのもやしをいかに美味しく食べれるかってのをしてましたね。
僕の生活スタイルは
こんな生活をしていたんですよね〜!今思えばよくやったなと思います。今の僕だと絶対にできませんね。笑
っである時おじいちゃんがなくなってしまって、バイトも学校も休んで宮崎に帰らなくてはいけなくなったんですよね。っで次の月はもう余裕で赤字ですよ。
50円すらも使えない!!
っと言うかない。使ったら学校いく電車賃もなくなるんでね。なので水飲んでたんですよね。
でももう限界って時にやばいっと思ってミクシーで(当時流行っていたブログ)「お腹減って死ぬ」っと投稿したら友達が沢山食料買って家にきてくれたんですよね〜!
やっぱり助けてくれる時は友達ですね。
大量の食料とカレーの元持ってきてくれたりしてそれですぐにカレーを作って食べたあの一口目の味は一生忘れませんね。涙出ましたよ。
この時に思ったんですけどやっぱり困ったら友達頼った方がいいですよ。
僕は全部自分でやるっていうポリシーみたいなものがあって悩み込んだ時も誰にも話さないんですよね。困った時も抱え込むんですよ。
でもそっからこの2年間はさすがに友達に頼ろうと思いましたね。
そこから圧倒的に頼りまくってやっと卒業出来ました。
就活失敗!仕事がない!
正直これが一番きつかったかもしれないですね。
学校に通えば何かしら絵の仕事につけると思い込んでいたんですよ。でもね〜
絵の就職って全くない!!
あるのはあるのですが、大抵がゲーム会社の背景とかデザイン会社とかそっち系ばっかりだったんですよね。アクリル絵具で描く仕事ってほぼないって事にそこで初めて気づいたんですよね。
最初に調べておくべきでしたね〜。
でも一応就活はしないと行けないので今まで書いた作品のポートフォリオ持って行ったんですよね。でも面接官に全否定されたりして一寸先は闇ですよ。
就職もうまくいかず、何をどうすればいいか全くわからない状況。
そんな不安な状態だったので再び気持ちが重くなってきたんですよね。
ただ、以前病んだ時に「苦しい時は逃げる」という事を学んだので今回も速攻で沖縄に逃亡しました。
案の定気持ちも回復して画家人生計画の練り直しをする事ができたんですよね。
まず今自分には何が必要なのか?っと考えた結果、HPが必要だ!HPと言えばWEBデザインだ!あWEB会社で働こう!っとなって大阪に帰って速攻でWEBデザイン会社でバイトしながら自分のHPを製作していたんですよね。
そこでグラフィックデザインも学んだので一度グラフィックデザイナーになりました。
自分の足で走りまくって営業活動をしていたんですけどその効果がかなりあって順調にのびていったんですよね。
それでお金も多少稼げるようになったのでグラフィックから絵の方に仕事をシフトチェンジしてクライアントさんからも依頼が来るようになりました。
そしてお金も溜まったので世界への画家修行の旅に出る事ができて今の生活に繋がっているんですよね〜!
この後も苦労はしましたけどね。
画家として生活しだした時よりも最初の画家を目指していた時の方が苦労の度合いが強かったように思います。
苦労せずに夢を叶えるなんて不可能ですからね〜!
なので今苦労して苦しいと思っている人はどんどん苦労してください!
それが未来に繋がって行く事は間違いないので。
その苦労をする中で大切にした方が良いポイント
- どうしようもない時は逃げる
- 冷静になって人生計画を見直す
- 友達を大切にする。
この3つさえ意識していれば何とか乗り越える事ができると思います。